自助の精神
頼ることが大事だよ、って風潮がある世の中ですが、私は逆です。
自分で出来ることを甲斐甲斐しく世話して貰うってそりゃー楽ですよ。何も考えなくても何もしなくても事が解決するんですもん。
でも外部からの過度な援助は人を弱くします。
いざ自ら闘わなければいけない時に、爪の立て方を忘れ、手入れを怠った牙は欠けて、自分自身を守ることができなくなってしまう。
周りと折り合いをつけるのは大事なことです。そりゃ存分に甘えた方が可愛げwがあるのかもしれません。
それでも、
自分を不幸にするのは自分だし、
自分を幸せにできるのは自分自身しか居ないのです。
それだけは念頭に置いて、ヌルーく寄りかかって他人任せにせずに生きていたいものです。
むやみやたらに反応しない
自分なりの「芯」がいっぽん通ってて、常時穏やかに構えることができたなら、きっと人間関係は最強だと思う。
言われる言葉、されること、
向けられる目線、
都合良くしか測られない自分の価値、
好かれようと(或いは波風立てない様にしようと)それらにいちいち反応して、
相手の期待通りの自分でいてもし息苦しいなら、それに一体何の意味があるんでしょうかと。
好かれる時は何したって好かれるし、
嫌われる時は何したって嫌われる。
それで良いじゃないっすか。←言い方軽ー
所謂「相手サゲ自分アゲ」な察してちゃんで生活する上でどうしても関わらなきゃいけない人が居て、
昨日1日その人に体調崩してまで振り回された結果、
これまでの人生で一番無駄だったなーって感想がしっくりくる一日になりました。
もういちいち無益な気がするので、私は私で居ようと思います。
盛り上げ役は無機質であれ
落ち込んだ時に気の置けない友人知人に相談や思いの丈を打ち明けてあーすっきり‼︎
なんて毎回都合よく気持ちの整理がつけばいいんだけど、返って気持ちをかき乱されたり
「えーそこでそんなこと言う⁈」
的な言葉がノドに刺さった魚の骨みたいにずっと引っかかって(←例え下手だなぁ自分)モヤモヤしたり。
そう言う意味では心を整える必要性がある時は、
常にブレず、変わらず、自分を盛り上げてくれる事があった方がいい事に気づいた。
今の自分にとっては、それが音楽だったりする。
趣味がロコツに出ちゃってるけど、好きです、haiiro de rossi。( ´ ▽ ` )